「多分年間3000時間以上働いていた」。2015年、岡本洋人氏はそう振り返る。「このままでは事務所の経営を続けるのが難しい」という強い危機感が出発点だった。それから10年。主治医のような社会保険労務士法人(代表・岡本洋人)は、年平均労働時間を2490時間から1553時間へ、937時間削減した。月残業は月約207時間相当から月15分へ。賃金は時給換算で約1.8倍に増えた。全国ワークスタイル変革大賞2025北海道・東北大会で奨励賞を受賞した事例だ。

長時間労働・低賃金・高離職率の三重苦と属人化構造が経営を圧迫

経営危機から転機、そして100年ドアーズに至る歩み

経営危機から転機、そして100年ドアーズ

2015年時点の実態は「長時間労働・低賃金・3年離職者の頻発」という三重苦だった。正社員の平均年収は402万円。年平均労働時間は2490時間で、残業換算では年間500時間ほど残業させていた状態だった。

社会保険労務士という業種は、知識と人間関係が仕事の核であり、「あの人しかわからない」という属人化が起きやすい。誰かが休めば業務が止まり、長期休暇は実質不可能という状況が続いていた。

転機は2016年。株式会社フォーバルの大久保秀夫会長から「経営理念・ビジョン・事業計画・人事評価の連動が必須」と指導を受けたことだった。翌年、法人名を「主治医のような社会保険労務士法人」に改称し、「100年ビジョン」(通称「100年ドアーズ」)を策定した。

標準化を先行させ、デジタル化、生成AI活用へと段階的に移行した2フェーズ戦略

第1フェーズにおける業務標準化とデジタルツール導入

第1フェーズ:標準化とデジタル

取り組みは2フェーズに分けて実行された。

第1フェーズ(2016〜2024年):標準化とデジタル化の徹底

まず着手したのは「業務の徹底標準化」だ。SLA(サービスレベルアグリーメント)を導入し、「その日中に全件対応、それ以降のお仕事については翌営業日24時間以内に完了」というルールを社内で徹底した。グループウェア「Mykomon」でタスクを可視化し、業務手順の整備にはAsanaを活用。誰でも対応できる体制を構築した。

デジタルツールはChatwork、Box、Zoomを中心に複数を組み合わせ、ペーパーレス化と遠隔協業を実現。札幌に17名のスタッフ、全国に在宅スタッフ6名が勤務するスタイルを定着させた。宮古島から打ち合わせに参加することも日常業務になっている。

属人化業務をなくすため「花組・星組」の2チーム制を導入し、複数担当制を引くことで特定の担当者が不在でも業務が回る体制を整えた。テレワーク率は60%以上を達成し、スタッフが遠隔地に移住しながら継続勤務するケースも生まれている。

第2フェーズで進めた生成AIの業務組み込み

第2フェーズ:生成AI活用

第2フェーズ(2025年〜):生成AIの業務組み込み

第1フェーズで標準化された業務プロセスが土台となり、2025年1月から生成AIを段階的に導入した。就業規則作成、各種文書の品質チェック、初稿作成などにAIを活用。標準化されたプロセスがあるからこそ、AIをそのプロセスの中に正確に位置付けることができた。

年937時間削減・残業月15分・平均年収増・年間休日149日を10年で達成

2015年から2024年、そして2026年目標までの数値的成果

数値的成果(2015→2024→目標2026)

数値で見る変化は明確だ。年平均労働時間は2490時間(2015年)から1553時間(2024年)へと937時間削減(-37.6%)。平均残業時間は月約207時間相当から月15分になった。

労働時間を大きく減らしながら、待遇は下がっていない。平均年収は402万円から450万円に増加し、時給換算賃金は約1.8倍に上昇。年間休日も105日から149日へ増え、有給取得率は80%に達している。

代表・岡本氏の社外活動と個人の活動の広がり

定性的成果(代表:岡本)

岡本氏本人は大学役員・芸術財団役員・全国社労士会の専門員として社外活動を大幅に拡大。マラソン・登山・縄文文化の研究といった個人の活動も実現した。北海道・沖縄の4拠点を毎月訪問し、自治体トップとまちづくりを推進するなど、事務所経営の枠を超えた活動が可能になった。

従業員向けの制度整備とテレワーク中心の働き方

定性的成果(従業員)

スタッフ面では、企業型DC・奨学金代理返済・看護休暇の有給化・子ども手当(1人2万円)・残業削減手当・コンディショニングトレーナーによる月次メンテナンスなど、多様な制度を整備。スタッフの9割が女性で、子どもを持つメンバーが多い職場において、テレワーク中心の働き方が長期雇用の維持に貢献している。「テレワークができるので、暮らしやすいところに引っ越しをしてまして、そういう意味で長く生涯働いていきたいという声をもらっています」と岡本は語る。

中小専門職事務所が働き方改革を10年継続するための設計思想

この事例の核心は「標準化を先行させ、デジタル化とAIをその後から乗せる」という順序にある。多くの企業がツール導入から着手して失敗するが、岡本が採ったのは逆の順序だ。まず業務プロセスを誰でも対応できる形に標準化し、そこにデジタルツールを組み込み、最終段階でAIを活用する。この段階的アプローチは、人数が少ない中小企業ほど有効だ。

もう一つは「労働時間と賃金の両方を計画に盛り込む」という点だ。2026年までに年平均1200時間・年収700万円という10年後の数値目標をビジョンとして明示し、事業計画に落とし込んだことで、スタッフ全員が同じ方向を向いて動けた。「削減」ではなく「設計」として働き方改革を進めたことが、10年間の継続につながっている。