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今野製作所物語(その1)

コラム・連載
日本の成長を支えた町工場。この町工場が危機に晒されていることは様々な報道でよく知られています。
例えば、町工場の集積地として知名度がもっとも高い東京の大田区を例に取ると、1983年に9,190件あった工場数は2008年には4,362件へと半分以下になってしまいました
高齢化や後継者問題が問題視されますが、雇用が他の産業へ移ったり、高齢者が自然な引退をしたのであれば、大きな問題ではありません。
むしろ後継者も若い従業員もいながらの状態で売上が下がり、事業を継続できなくなってしまうことが経営者や従業員にとって最も大きな問題です。
日本の多くの中小企業は、大企業の下請けで小回りのきく事業形態とたゆまないカイゼン活動で成長してきました。
しかし、時代が変化したことで、今までのやり方では通用しない二つの大きな問題を抱えています。
一つは営業です。大企業の下請け構造に組み込まれていた多くの町工場は、いくつかの顔見知りの得意先を持っていれば、その成長と共に自分達も成長することができました。
しかし、海外も含めたグローバル調達が当たり前になってきた昨今、独自の取引先の開拓を余儀なくされています。
特定取引先の下請けという事業構造自体がすでに成り立たなくなってきている今、町工場は大企業と同様に独自の強みと営業力を持ち、自力で営業できる力をつけなくてはいけません。
もう一つは相対的なスピードの劣化です。安価な大量生産品の生産を海外に奪われてしまったため、高品質な試作品、少ロット品やカスタマイズ品で事業を成り立たせなくてはなりません。
しかし、それらの営業においては、多くの競合と競り合いながらたくさんの見込み案件を速いスピードでこなしてゆかないと利益が出てこないのです。
従来に比較して飛躍的に高くなった営業や設計の工数を縮め、早いレスポンスで案件に対応できることが生き残りの鍵になってきます。
そして、この二つの課題を解決するためには、営業提案力の向上と、ITによる情報共有が必要になってくるのです。
メールや積算ソフトを使いこなせるだけではなく、社内に蓄積したノウハウをどの営業でもすぐに引き出して高度な提案を行えることが必要で、ベテラン技術者や経営者の提案ノウハウを誰でも使いこなせることが求められてきています。
このシリーズでは、社員30人の東京の町工場が実際に直面した危機と、その危機を乗り越え、ITを導入してさらに伸びてゆこうとする姿を現在進行形で取材し、日本の多くの中小企業が抱える問題を解決するためのヒントを提示してゆければと思います。
物語の舞台になるのは、実在する東京の町工場、今野製作所。40代の二代目経営者が主人公です。
第一回目の今回は、会社を突然襲った危機とそれをどう乗り越えたかをインタビューを中心に綴ります。
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株式会社今野製作所 企業概要
 
設立: 1969年(昭和44年)10月
業種: 製造業(板金加工、自社ブランド油圧ジャッキの製造販売)
社員数: 30人
事業所: 東京本社・工場(16人)・福島工場(11人)・・大阪営業所(3人)
年商: およそ5億〜6億
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「やばいと思いました。これはまずいと。3ヶ月間くらいで3分の1くらいに(売上が)急に落ちてきたという感じでしたね。いろんなコトを考えたんですけど、まずはどこまで耐えられるかを計算したんですよ。短期的にできることって限られているんで、例えば賞与を削ったときにどこまでガマンできるのかとか、どういう可能性があるのかとか計画を立てました。その期は1億の赤字が出るって言う試算でしたね。6億の会社でしたから1億の赤字って結構強烈なんです。」(今野製作所 代表取締役 今野浩好氏)

板金加工を得意とする町工場はあまたの数がありますが、今野製作所の場合は自社ブランドの油圧ジャッキをもっていることがそれまでの強みでした。

創業期からの板金事業だけでは立ち行かなくなると、この規模の企業としてはいち早く自社ブランドの製品開発に着手。
工場において比較的大型の製品の据付に現場が困っているところに着目し、自社ブランドの油圧ジャッキEagleを開発、簡単に手で持ち運べるコンパクトさに加え、25トンまで持ち上げる能力を持ち、電気がなかったり車両が入れないような据付現場で重宝され、2008年時点で売上の8割がこの油圧ジャッキで上げるところまで順調に業績を伸ばしてきました。

ところがリーマンショックが襲ってきたとき、8割を占めるその油圧ジャッキ事業が直撃を受けたのです。

「福島工場でやっている油圧ジャッキの売上のほうが深刻だったんですよ。そちらが全国向けに商売をしているということと、世の中の設備投資の需要と連動しちゃうところが強いので、そっちが3分の1に落ちちゃった。で、(東京の工場でやっている)板金加工の方は3割減くらいにとどまっていました。ここまで売上が落ちちゃうと、効果的な打ち手ってあまりないんです。当然、受注が減っていますからいろんな資材の発注みたいなものはしないですむものはしなかった。経費節減とかいってやれることはやりましたけど、すごく微々たるものなんですよね、そこまで落ちちゃうと。やっても焼け石に水みたいな。最後の手段として、稼働を止めて雇用調整金をもらうことは考えましたし、結局実行もしましたけど、最初からすぐにはやりたくなかった。」

短期的に経費を削減するのは当然の施策としても、今野氏が言うようにここまで急激に売上が落ちると出るお金をおさえるだけでは到底追いつきません。どこまで耐えられるか計算をしながら綱渡りのような日々が2年ほど続いたといいます。

そして、今野社長がお金以上に気にしたのが、現場です。
仕事がなければ当然現場は不安になります。現場の士気が落ちると次に繰り出す売上向上のための施策が打てなくなってしまいます。

 

 

「時間が余っちゃってるので、仕事来ないですから…。現場の士気が落ちちゃうのが一番まずいと思ったんですよ。だからうちはとにかくこの危機を全員で乗り切ろう、この時間を有効につかうために研修をやるよっていうことは最初に宣言しました。

 
その時間を使って工場は2つのことをやろうと。ひとつは改善活動、生産性を向上させるためのラインの改善と現場の改善です。チーム力をあげようと。もう一つは、技能研修をやりました。こちらは個人の能力をあげようっていうことで。いわゆる多能工化を目指して。なにせ仕事が無いですから、時間が3倍かかってもいいわけですからね。新人がやると3倍かかる仕事も、仕事自体が3分の1しかないですから。(笑
 
いまだからチャンスだからって言うことで職場をスイッチして。ただそれはある程度の一定期間内に受注が回復していくだろうという当初の見込みのもとにね、やってたっていう感じですかね。」
では、今野製作所の売上は、ほどなく回復したのでしょうか?
「いや、しなかったんですよ。3分の1まで落ちたって言うところからは回復したんですけど、年度でならすとその年は45%減、その翌年も元の位置からすると60%くらいまでしか戻らなかった
なだらかに戻りつつはあるんだけど、なかなか損益分岐点には行かなかったですね、最初の2年間は。」
 

売上が戻らないことがわかれば、売上を増やす手立てを講じなければならない。
特に売上の8割を占めている福島工場の油圧機器事業をなんとかしようと今野社長は営業を強化してゆきます。

「うちはもともとが板金屋で、単品製作型の会社。小回りをきかせて設計製作ができる強みをいかそうと、ホームページのテコ入れをしました。とりあえずは案件自体は増えていったんです。それまでだったらウチなんかに来なかったであろう分野から、「なにかこれこうしてくれないか」みたいな話が入るようにはなってきた。けど全体のウェイトからするとごく一部でした。だから(その時点で)依然として工場の現場は正直暇でした。週に一日二日は改善日だと言って(技能訓練やジョブチェンジなどを)やってましたね。

ただ、設計者と営業マンは、なんかすごい忙しくて、ピーク時よりもむしろ忙しい。そこがボトルネックになっちゃった。そこを伸ばそうってやってみたんですけど、とにかく設計者がパンクして忙しいと。
で、あと営業マンが、若手の営業マンが、そういう仕事を方針でいくらそれをやろうねっていっても、十分そういう対応ができないことが明らかになった。それが出来る人に仕事が集中する。」
 
営業的なテコ入れで見つけた光明。少し売上が伸びたと喜んだのもつかの間で、今野製作所にはさらなる問題が待っていたのです。工場は暇なのに営業も設計もパンパンな状態。
油圧事業は、基本的には標準品を大量に作って販売ルートに乗せるのがそれまでの仕事です。ところが、カスタマイズ品はそれぞれに仕様が違います。工場へ発注する以前の工程で工数が莫大に増えてしまい、工場が暇なのにも関わらずそれ以上仕事を請けることができなくなってしまったのです。
営業や設計の人数を増やそうにもお金はなく、しかも営業の中でもノウハウを持つ一部のベテランだけしか新しい仕事をこなすことができない。
実はこの現象は、多くの日本の町工場に当てはまる問題ではないかと思います。
日本の中小製造業の長所であるはずの、高い技術を使った小回りのきいたカスタマイズが、実はできない。
今野製作所のように型番品の生産にウエイトをおいている場合や、大企業の下請けをしていて自社での設計、提案能力やリソースがない場合も販路を増やそうとした時点でこの問題に直面します。
そして、ここからが未来を生き抜くための本当の構造改革を要求されてくるのです。
(続く)
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