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眞柄旭山動物園は北海道旭川市にあり、日本では最北の動物園です。それにもかかわらず昨年度の来場者数は304万人もあり、東京の上野動物園に次いで来場者数では全国で第2位となりました。 夏期の来場者数ではたびたび上野動物園を越えるなど、その人気ぶりは国内だけでなく海外からも注目されています。アザラシがチューブ型の水槽を通り抜け、ペンギンが園内を散歩する「行動展示」、ゾウとペリカンなど異なる種類の動物が同じ空間に暮らす「共生展示」と、そのユニークな取り組みは他の動物園にも影響を与えています。 いまや日本一の呼び声がある旭山動物園ですが、10年以上前には長いあいだ閉園の危機にあったそうですね。当時、小菅園長はどのようにご覧になっていたのでしょうか。 小菅当園は1967年(昭和42)にオープンした当時、来場者は年間45万人あったのですが、80年代初めの60万人をピークにどんどん減って、96年(平成8)には26万人と大きく落ち込みました。 私は73年(昭和48)に北海道大学獣医学部を卒業して就職しましたが、それ以来ずっと現場で動物の世話に没頭して、実は来場者数の推移などはまったく関心がなかったんですね。私だけでなく、現場で働く人たちはお客さまのことが目に入っていませんでした。 なにしろ、頭のなかは動物のことでいっぱいです。健康に育て、繁殖させるにはどうすればいいのか。この動物が野生ではどんな状況にあるのか。目の前にいる動物だけに強い関心と興味があったわけです。 そういう職場環境のせいで、当園は全国的にみても研究分野で高いレベルにありました。私が就職したころは飼育係が8~9人いて、動物園の全国大会で発表したり論文を書いたりとしっかりやっていました。私自身も仕事のかたわら旭川医科大学に通い、染色体異常の研究を不妊学会で発表し、論文も書きました。動物がなぜ増えないのかという問題に一生懸命に取り組んでいたんですね。 眞柄ある意味、エキスパート集団ですね。目の前のテーマに没頭し、経営にはまるで関心がないところなど、まさしくそうです。 小菅いまと違って現場スタッフは、「お客さまに喜んでもらうにはどうすればいいか」なんて考えてもみませんでしたよ。 来場者が減っていることなど気にせず、「うちの動物園は小さいけれど、いい仕事しているぞ」とずっと思っていました。研究分野ではたしかにそうでしたから。来場者数のことを指摘されることがあっても、「それがどうしたの?」と反発する気持ちがあったくらいです。 ところが、私が飼育係長になったとき、旭川市役所から「このままでは動物園が維持できない」といわれ、初めて運営の問題を突きつけられたわけです。 眞柄役職に就いたら、本庁から運営面に目を向けるように迫られた。
小菅それまでずっと作業服で働いてきましたから、本庁は自分とは別世界だと思っていました。「このままではダメなんですか?」と真顔で本庁の人に尋ねましたよ。 いまから考えると、問題はちゃんとした考えのもとで施設を整備してこなかったのでしょうね。 開園当時は、それでもよかったのでしょう。大型遊園地やテーマパークがまだ登場しない時代ですから、ほうっておいても動物園にたくさんの人が集まってきた。 レジャーの選択肢が増えたら、動物園の魅力をもっと打ち出さないといけません。それができていなかったのだと思います。 眞柄私たちが子どものころは、家族で動物園へ行くのが手近なレジャーの代表でした。それから国民生活は変化したのに、動物園は対応できなかったのでしょうね。 小菅本庁から問題を突きつけられ、自分なりに考えました。来場者数はどんどん減っている。このままでは閉園かもしれない。 そのときに「お客さまがいて動物園は成り立つ」という当然のことを初めて意識しました。どれだけ優れた研究成果を出しても、お客さまが来なければ動物園はつぶれる、ということが自分の問題になったのです。 そのときに研究活動は一切やめました。大学院でドクターを取得するつもりだったので、指導してくれた教授のところへ行って「すみません、研究はやめます。これからは動物園に専念します」と謝りましたよ。研究は後輩に任せて、自分は動物園運営に専念することを決意したのです。 眞柄それまで没頭していた研究を一切やめるというのは、たいへんな決断ですね。 小菅そこがスタート地点でした。自分たちほど動物を愛して、自分たちほど動物のことをよく知っている人間はほかにいない。動物園を再建できるのも自分たち以外にはないと気づいたんです。
眞柄従来の動物園と違うコンセプトが生まれたのも、もともと動物のエキスパートが運営に乗り出したからでしょう。旭山動物園に来たことのある人はみなさん感じると思いますが、本当の動物好きがつくったとしか思えない施設ばかりです。最初のコンセプトはどなたがつくられたのですか? 小菅当時の園長はじめ、みんなで考えました。係長になったばかりの私は本庁の人から「旭山動物園をどう変えていけばいいか、キミがよく考えろ」とハッパをかけられましたよ。改革プランに取り組んだのはそこからです。 眞柄飼育係の方々が“理想の施設”を描いた「14枚のスケッチ」は有名ですね。旭山動物園がテレビドラマ化された際も大きく取り上げられました。「理想のぺんぎん館」「理想のほっきょくぐま館」など、こういう施設が実現すれば、お客さまに喜ばれるというアイデアです。手書きのスケッチは、現在の施設とかなり近いものがいくつもありますね。 小菅本当はもっとたくさんのスケッチがあって、現存しているのが14枚ということです。89年に「旭山動物園のあり方」として本庁に報告しましたが、ほとんど顧みられませんでした。「旭川市旭山動物園基本計画書」として正式に旭川市議に報告されたのが99年ですから10年後のことです。その計画も、現在の姿になるまでは挫折の連続でした。 眞柄実際に動物を飼育されている方が、理想のコンセプトや達成イメージを描くのは画期的だと思いました。どこからか経営のプロがやってきて再建するのとは質的な違いがあります。 小菅基本となる理念は私を含めた4人で考えて文章にしました。理想の動物園を描くためには、まず、「何のために動物園があるのか」という点から出発しなくてはいけません。この仕事は誰のためにあるのか、その人たちが満足するためにはどうしたらいいのか。そういう根っこの部分に誤りやウソがあると、“理想の施設”をいくら描いても意味がありませんから。 しかも“理想の設備”は、抽象的な言葉で説明できるものではありません。みんなの話からイメージを絵に描くしかないなと話し合って、スケッチにまとめてくれたのが、当時飼育係でいまは絵本画家になったあべ弘士です。 眞柄動物の生態にとことんのめり込んだ人でないと、どこにでもある人間主体の施設や展示になってしまうと思いますね。 小菅そうかもしれません。私が係長になってから、基本理念ができあがるまで3年間。短期間で理念を固めることができたのは、間違いなく現場仕事に没頭してきたおかげです。 それまでの十数年間、動物たちと真剣に向き合い、多くの研究者からお話をうかがい、文献を読みあさった経験がなければ、いまの動物園を構想することは難しかったでしょうね。 |
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