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眞柄潮田学長が取り組まれている改革には、アメリカの大学で経験されたことがかなり活かされていますね。そのバックグランドについてうかがいたいと思います。 学長は1960年にダートマス大学に留学されていますが、そもそも留学の経緯はどのようなものだったのでしょうか。
潮田私が留学する以前にも、ダートマス大学では日本人の学生が少数ながら学んでいました。たとえば私の7年先輩には、スキーの冬季五輪メダリストで、現在IOC副会長の猪谷千春さんもいます。 ところが、50年代後半は日本からの留学生が減り、東京にあるダートマス大学の同窓会が中心になって「学生を送ろう」という話になったそうです。 当時私は、都立日比谷高校に通っていましたが、ダートマス大学の同窓生が都内の高校をリクルートしてまわっていました。試験を受けたところ、奨学金を全額支給するといわれて、それなら入学しようと決めました。 眞柄もうそのときから物理学を勉強するお考えだったのですか。 潮田初めは電子工学をやるつもりでした。当時、アメリカの電子工学は進んでいましたから。 ところが、いろいろ授業を聞くうちに「物理もおもしろそうだ」と思ってジュニア(3年生)で物理学に進みました。 ダートマス大は1769年創設のリベラル・アーツ・カレッジですから、「うちはジェントルマンをつくるための大学で、職業教育をやるところではない」という考え方が根底にあります。食うための知識は大学院へ行ってから学ぶものだ、と。 眞柄一般教養課程を重視しているわけですね。 潮田ところが、当時のアメリカは「物理でも食べていけそうだ」と思える状況でした。スプートニク・ショックです。ソ連が57年に世界初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げ、宇宙開発で後れをとったアメリカは、アイゼンハワー大統領が科学技術に多額の投資をはじめました。実際、大学には奨学金や研究援助がたくさんまわってきました。 眞柄ケネディ大統領のアポロ計画につながる宇宙開発競争ですね。そうお聞きすると、米ソ冷戦の真只中にアメリカで物理を研究していたのは貴重な体験ですね。 潮田ソ連がキューバに核ミサイルを運び込んだキューバ危機は、ちょうど物理学に進んだ大学3年のときです。ミサイルが飛んでくることを想定して、防空壕へ逃げる訓練もやりました。 眞柄ダートマス大卒業後はペンシルバニア大学でマスター、ドクターを修められ、69年からはカリフォルニア大学アーバイン校(UCI)で助教授になられていますね。アメリカの東海岸から西海岸へと移られた理由はあるのでしょうか。
潮田ペンシルバニア大ではバースタインという有名な教授が指導教官でした。彼の友人がたまたまUCIにいて「ポストがあるから行ってみないか」と誘われました。UCIは1965年創立ですから、私がドクターを終えた69年はまだスタートして間もない若い大学でした。「フィラデルフィアからだとだいたい日本の方角だ」と思って行ったんですね(笑)。 初めは2〜3年勤めるつもりでしたが、「助教授のポストが空いたからやらないか」といわれて助教授になりました。そのうち学生たちがつくようになり、リサーチ・グラント(研究助成金)をもらうようになり、準教授、教授となって……気がついたら結局16年間もいましたね。 眞柄それだけ長い期間アメリカの大学で過ごされたことをうかがうと、潮田学長の取り組みが何を背景にしているのか、改めて感じられますね。 |
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