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眞柄2006年にプロ・アイスホッケーチームである日光神戸アイスバックスのシニアディレクターに就任され、話題になりましたが、セルジオさんと言えばやはりサッカーです。 若い人たちは解説者としての顔しか知らないかもしれませんが、現役時代は日系二世として初めてブラジル1部リーグで活躍されたというご経歴をお持ちですね。 ブラジルはサッカーが非常に盛んですから、生半可なことではプロにはなれないと思うのですが、セルジオさんは子どものころから少年サッカーや学校の部活動で活躍されていたのですか。
セルジオいえいえ、今でいうユースのようなチームに入っていたわけではないし、学校の部活動でサッカーをやっていたわけでもありません。だいたいブラジルの学校では、サッカーというかスポーツができないんですよ。少なくとも私の時代はそうでした。 人口が爆発的に増えていたので、子どもの数に比べて学校が圧倒的に足りませんでした。だから生徒たちは、朝の部、昼の部、夜の部と3交代で学校に行くんです。そういう状況でしたから、放課後に学校の施設を使って部活動をするなど考えられませんでしたね。 子どもたちがサッカーをするのは主に町中の空き地です。アメリカのストリート・バスケットみたいなかたちで、みんなが思い思いに集まって草サッカーをする。土日に試合をしたり、夜はどこかの室内でフットサルをしたりするわけです。 かつて、日本の少年たちがみんなプロ野球選手にあこがれていたように、ブラジルの子どもたちはプロのサッカー選手になることを夢みています。環境は整っていなくても、それは夢中でボールを追いかけていました。私もそんな少年のひとりだったにすぎません。 そんな中から実際にプロ選手が生まれていくわけですが、その道筋は、日本の下町で歌っている演歌歌手のようなものです。彼らは路上で歌ったりCDを即売したりしているうちに、たまたまプロダクションなどの目にとまってメジャーデビューのきっかけをつかむわけですね。それと同じで、草サッカーをやっている中に光る子どもがいると、クラブチームやプロチームの関係者から、「うちでやってみないか?」と声がかかるんです。 私が子どものころは、サンパウロもまだ大都会ではありませんでしたから、ちょっとうまい子がいると、すぐに評判になりました。私の時も、「あそこに、うまい二世がいるよ」という話が口コミで広がり、プロチームにコネを持っている人が「紹介するからテストを受けてみないか?」と声をかけてくれたんです。
それからとんとん拍子に話が進み、18歳の時にコリンチャンス(サンパウロの名門チーム)に入って、数年後にはプロ契約を結びました。毎日々、遊びのような感覚で無我夢中でボールを追いかけているうちにサッカーがうまくなり、チャンスに巡りあってプロまでたどり着いたというわけです。 ところが、ブラジルに生まれ育った少年にとっては夢のようなこの話に、父はあまりいい顔をしませんでした。私の両親は日本からの移民ですから、サッカーに対する理解というか、思い入れがなかったんですね。よく、「あんな硬いボールをヘディングしたら、頭が悪くなる」といわれたものです。 「じゃあどんなスポーツならいいんだ」と聞くと「剣道だ」と。剣道も頭を叩かれるんですけどね(笑)。 いずれにしても、私の原点は子どものころの草サッカーにあります。それがプロになるきっかけをくれ、その後、日本に来ることにもつながったのですから。 |
1)ブラジルのサッカー少年たちは、デビューをめざす演歌歌手のようなもの
4)ボランティアの力に支えられ、経営難のチームが初のベスト4に
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