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エグゼクティブ対談 【第27回】左京 泰明氏 (シブヤ大学学長)

「学びたい」という心をもつすべての人に無限の学舎を提供するシブヤ大学の挑戦(2/3)

「やりたいことに向けた準備期間」は意味がないやりたいことがあれば、すぐに行動に移すべき

眞柄ところで左京さんはまだ20代と若くしてシブヤ大学の学長を務められていますが、創立までの経緯を振り返っていただけますか。

左京シブヤ大学にたどり着いたベースには、「仕事を通じて社会に夢や希望を与えたい」という思いがあります。そして、そうした考え方が芽生えたのは大学生の時でした。

 私は早稲田大学でラグビー部に所属していたのですが、ご存じのように名門で部員も100人以上いますから、レギュラーになるだけでも大変でした。とにかく四六時中ラグビーのことばかり考え、全身全霊で練習をしてようやく4年の時にレギュラーになれたんです。と同時にキャプテンに任命されたので、それからは日本一になることだけを考えていました。

 そんな時、当時の清宮克幸監督から、次のような言葉を聞かされたんです。「我々には、大学日本一になることのほかにもう1つミッションがある。ラグビーを通じて、社会に夢や感動、希望、勇気を与えていくことだ」

 それまでは“ミッション”などという発想はなかったし、チームの調子が悪くてなかなか結果が出ない時期でもあったので、最初はまったくピンときませんでした。それよりも、「やっぱり勝ちたい」という思いのほうが強かったんです。

 ところがシーズンが始まってからというもの、どこに遠征に行ってもお客さんが詰めかけて応援してくれる。知らない人から手紙やメールをいただき、「がんばれ」という声のほかに、なぜか「ありがとう」とか「勇気をもらった」というメッセージをもらう――。

 そのようなことを繰り返しているうちに、だんだん清宮監督のいうミッションの意味がわかってきたんです。私たちはただ単に日本一になるため一生懸命プレイしている。でも、その姿がみなさんに影響を与えているんだ――ということが実感できるようになってきたわけです。そして、これはすばらしいことだと感じたんですね。

 一方で、私は社会に出てからもラグビーを続けようとは考えていませんでした。社会人として働くことに、何か夢を抱いていたんです。社会に出ると、それまでとは比べものにならないくらい人生の選択肢が広がりますよね。大海原に出て自分の力を試すことができる。ものすごくチャレンジングで、エキサイティングじゃないですか。

 ところが練習を見に来たOBはよく、「お前らはやりたいことができていいな」みたいなことをいわれる。私はこれがとても嫌で、自分がOBになったら、「今、お前たちがしていることは、社会に出た時にこんなふうに役に立つんだ」といえるようになりたいと思っていました。

 そして、清宮監督のいわれたミッション――「ラグビーを通じて社会に夢や感動、希望、勇気を与えていく」を、「仕事を通じて……」に置き換えていければ、と思うようになったんです。

眞柄卒業して商社に入られたんですよね。「仕事を通じて社会に夢や感動を与える」という思いを実現するには、いちばん適当だと判断されたのですか。

左京どんな職業に就けばいいか、ものすごく悩みました。いろんな方にお会いして話を聞いたりしましたが、なかなかこれといったものが見つからなくて。

 結局、子どものころから海外で生活したいという気持ちがあったのと、スポーツばかりやってきて何の知識も経験もないので、実力をつけたいということで商社を選びました。

眞柄配属は経理部でしたね。

左京体育会系ということもあって、ふつうなら営業に配属されるのでしょうが、ちょっと引いた目で業務全体が見える仕事がしたかったので経理部を希望したんです。

 でも、最初のうちは大変でした。まわりからは「どうせスポーツばかりやってきたんだろう」という目で見られていたので。しかし、早稲田大学ラグビー部の左京としてではなく、社会人としての自分を評価してもらいたかったので、ラグビー部でレギュラーを目指していた時のように必死で努力しました。朝は誰よりも早く出社し、同期の誰よりも早く資格を取るべく土日も勉強したり……

 そうして2年がたつころには、だんだんまわりが見えるようになってきていました。と同時に、生意気なようですが先が見えたような気がしたんです。あと何年すればこういうポストについて……という具合に。

 また、入社したころはチャレンジングだと思っていた環境が、少し楽なものになってきていました。仕事ぶりを評価してもらえて、多少手を抜いても誰からも責められない――そう感じたとたん、このまま会社に居つづけていいのかという疑問がわいてきたんです。

 そこで、社会に出ているラグビー部の同期たちと早朝に勉強会を開いたりしました。金融業界に勤めている者もいれば、医師もいるといった具合にメンバーはバラエティに富んでいたので、自分の知らない世界を垣間見ることができましたね。そんなことを通じて、仕事や働くことについてずっと考えていたわけです。

 結局3年弱で退社することになるのですが、そのきっかけを与えてくれたのはある人との出会いでした。入社して丸2年がたつころ、学生時代にITベンチャーを興して成功している人とお酒を飲む機会があったんです。その方に、「将来、何かをするために経理の仕事をしてきた。自分では準備期間だったと思っている」という話をしたところ、その考え方を真っ向から否定されたんです。

 準備に長い時間をかけるのは無駄だ。やりたいことがあるのなら、それに向かってまず行動すべきで、走りながら必要なことを学んでいけばいいと。

 その言葉が自分のなかで腑に落ちたんですね。あれこれ準備をしようと思っているうちは、いつまでたっても何も始められない。まず動き出さなければいけないんだと。

 そこで次の日、会社に辞意を伝えたんです。


眞柄翌日ですか。それは思い切りましたね。では、具体的に何をやろうということは、すでに決めていたんですね。

左京いえ、何も決めていません。今までの自分は間違っていたんだということだけが頭にあって、まず会社に甘えている状況を変え、自分を追い込もうと思ったんです。

 でも、たまたま退社直前にお会いしたNPO法人グリーンバードの長谷部健代表が、「何も決めていないけど、ただ社会をよくしたり人のためになったりする仕事がしたい」という私の思いに共感してくれ、具体的にやりたいことが決まるまでお仕事を手伝わせてくれることになりました。

 実は、その長谷部さんがシブヤ大学というコンセプトを出された方なんです。コンセプトそのものは、私が参加する1年ほど前に公にされたのですが、いくつかのメディアに取り上げられるうちに共感する人たちが集まってきたんですね。だったら本格的にプロジェクトを立ち上げてみようかということになり、私もそのメンバーになりました。

 最初はどちらかというと消極的で、事務手伝いのような感覚だったのですが、1カ月くらい議論を重ねているうちに、どんどん興味がわいてきたんです。自分なりにいろいろなプロジェクトも考えるようになって。そして当時のメンバーはみな別に本業をもっていたので、じゃあ私が専任スタッフになりましょうと手を挙げたわけです。

 私が退社したのが2005年10月末で、シブヤ大学のプロジェクトが立ち上がったのが11月ですから、まさに運命といえるかもしれませんね。

眞柄そういう意味では、コンセプトを出したのは長谷部さんかもしれませんが、プロジェクトを育てたのは左京さんだといえるわけですね。

左京もちろん私1人で作りあげたわけではありませんが、最初からかかわっているメンバーで今でも残っているのは私だけなんです。この間、いろんな方にお会いしてこつこつ準備をし、立ち上げメンバーが決まったのは2006年の4月ですから、プロジェクトの旗揚げから5カ月ほどかかった計算ですね。

 と同時に東京都にNPO法人設立の申請をし、認可が下りたのは7月下旬。開校式は9月初めですから、本当にぎりぎりのスケジュールでした。

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対談目次

1)場所にとらわれず学べる環境は人気コンサートをしのぐ注目を集める

2)「やりたいことに向けた準備期間」は意味がない。やりたいことがあれば、すぐに行動に移すべき

3)小中学校とも連携して、お仕着せの勉強ではなく「学ぶ」ことの楽しさを伝えていきたい

左京 泰明氏 ゲスト:左京 泰明氏
シブヤ大学学長

プロフィール

聞き手:眞柄泰利
マイクロソフト株式会社

プロフィール

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