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眞柄我が家の子どもたちがお世話になっているラグビースクールには、ラグビー経験者の方々がボランティアで指導してくれています。私は学生時代からいくつかの競技を経験していますが、ラグビー関係者ほど熱い人たちも珍しいという気がしています。ラグビーが好きで、自分と同じラグビー愛好者が好きで、実に熱心です。ラグビーには他のスポーツにない独特の魅力がありますね。 森こういう言い方をするとサッカー関係者から嫌われるのですが、たとえば、サッカーでゴールが決まった時は、シュートした選手が抱き合ったり、ユニフォームを脱いだりするでしょ。周りの選手たちも取り囲んで一緒になって騒ぎます。
眞柄一種の狂乱状態みたいによろこびを表現しますね。 森ラグビーの場合は、トライを決めた選手はうつむきがちに自陣へ走っていくでしょ。どことなく恥ずかしいくらいの表情で、周りの選手たちも大げさに讃えたりはしない。 眞柄そうですね。 森ボールは全員で運ぶという気持ちが強いから、最後にトライする選手はたまたまボールを受け取ったに過ぎないと考えるのですね。自分がトライを決めても、内心で「みんなで運んできたボールを俺がトライしちゃって悪いな」と思う。胸を張るどころか、「みんな、すまんな」ぐらいの気恥ずかしさがある。だから、黙って自陣へ戻るわけです。 眞柄自分の手柄はたまたまの結果で、お膳立ては周りの仲間がしてくれたのだと。日本人には親しみやすいメンタリティーですね。 森そこがいいところです。もののふの精神ですね。ラグビー発祥の地であるイギリスでも同じです。騎士道精神というのか、イギリス人もそういったメンタリティーが強いと思います。 そういったラグビーのよいところを端的に表す言葉が、「one for all, all for one」です。1人ひとりが一生懸命に戦い、15人みんなが努力した結果、誰かひとりがようやく敵陣にたどり着ける。その陰には、途中で痛い目に遭った人たちがいるわけです。敵にタックルするなんて、一番嫌な仕事ですよ。 眞柄トライが決まるのはあくまでプレーを続けた結果ですからね。今の時代は、あまりに結果至上主義というか、プロセスを大切にしない風潮があるようにも思います。
森そうです。ラグビーでも、私が一番尊いプレーだと思うのはセービングです。グラウンドに落ちたボールを味方へ渡すために、素早く身を横たえてセーブする。敵の手や足が怒涛のごとく降ってきて、何発やられるかわかりませんよ。ひどい時は味方にまで蹴られるわけですから。 眞柄まさに身を挺してボールを死守しますね。 森セービングの怖さや痛さを知らない人には、あの尊さは分からないですよ。そのボールがなぜ生きてきたのか、なぜウィングまでまわったのか。そこには誰かの捨て身のプレーがあったからです。 今の社会はそこに目を向けないで、抜け目なくやれば金が儲かるくらいにしか考えない。これは怖い社会ですよ。 タックルやセービングばかりやっていたら、自分はまず得点できません。それでも誰かやらなくてはならない。その努力が分かっているから、トライした選手だけがいい格好するものではないし、みんなでよろこびを分かち合う。この連帯意識ですよ。 眞柄その連帯感は、実際にラグビーを経験した人でないと分からないかもしれませんね。 森ところが最近のラグビーは、トライを決めたらよろこんで抱き合うような光景もたまに見られます。あれはサッカーの影響でしょう。ラグビー本来の精神を大切にして欲しいと思いますよ。 ラガーマンなら誰もがラグビー精神の素晴らしさを伝えていきたいと思うはずです。だから、自分が親になったら、子どもにもラグビーを習わせたくなる。他の子どもたちにも一生懸命に指導したり、お世話したりするのです。
眞柄お話をうかがっていると、森会長ご自身もラグビーから、多大な影響を受けておられますね。 森影響どころではなく、自分の人生はラグビーによって決まったと思っています。 眞柄そこまで大きな意味をもっていますか。 森私は今年69歳、昔の数え方でいえば70歳の古希を迎えました。70年にわたる自分の人生は何だったのかと改めて考えていくと、結局ラグビーに行き着くんです。 私は石川県生まれですが、父は戦前の田舎町では珍しい早稲田のラガーマンでした。 眞柄お父様も早稲田大学でラグビーをやっていらした。 森昭和8年卒業ですから、石川県ではうちの親父がラガーマンの先がけだと言っていいでしょう。そして私が生まれた昭和12年は、父は支那事変(日中戦争)の戦場へ赴き、家を離れていました。 父が不在の間、下駄箱に野球のグローブらしきものと、ラグビーボールの空気を抜いたのが置いてありました。子ども心に「これ、なんだろう」と思っていたら、小学校に入ってから1つは野球のグローブだとわかりました。小学2年生で終戦を迎え、同級生たちと野球をはじめた時はこのグローブを使いました。そのころは野球少年で、当時珍しい革のグローブをもっていたおかげでキャプテンですよ。ピッチャーで4番打者と決まっていましたね。 下駄箱に置かれていたもう1つのほうは、母が「これはラグビーボールといって、ラグビーはお父さんが大学で一生懸命に打ち込んだスポーツだよ」と教えてくれたんです。それでものすごく興味をもったのを憶えていますね。 ラグビーと本格的に出会ったのは小学5年生の時です。昭和23年に早稲田大学のラグビー部は、私の家があった根上町(「現」能美市)で合宿しました。なぜ根上町にきたかといえば、OBである私の父が面倒をみたのと、戦後の食糧難でも石川県なら米の飯が食べられるだろう、ということですね。 大きなお兄さんたちが50人ほどきたんですよ。驚きましたね。ほとんどは私の小学校に泊まっていましたが、後に日本代表監督を務めた西野綱三さんや大西鉄之祐さんなど、幹部たちは全員が私の家に泊まりました。 眞柄日本のラグビー史に残る方々が泊まっていたわけですか。大変恵まれた環境ですね。
森その合宿期間は、小学生の私まで、24時間ラグビー漬けになった気分でした。すごいなぁと思って練習を見ていると、子どもだからつい自分もボールに触りたくなってくる。グランドの隅で友だちとラグビーボールで遊んでいたら、学生さんたちが初歩的なことを教えてくれたんですね。「森くん、ちょっとボールを蹴ってみろ」とかいってね。それでだんだんラグビーが好きになっていったわけです。 その年はオープンゲームが金沢であって、早慶戦を観に行きました。実際の試合を目のあたりにしたら、もうすっかり熱くなりました。こんなすごいスポーツがあるのか、よぉし、俺もやるぞって。 それからは、将来は父と同じ早稲田のラグビー部に入るぞとずっと考えていましたが、あいにく私が住む地域の高校はどこもラグビー部がなかったんですね。石川県でラグビーがいちばん強い学校に入りたいから、金沢の中学校へ越境入学しました。勉強のできる人が受験のために越境通学するのはよく聞きますけど、私はラグビーがやりたいから越境したわけです。 眞柄早稲田ラグビーをめざすのですから、きっとお父様も協力的だったでしょうね。 森父は大変なラグビー好きでしたから。石川県のラグビー協会で会長を務めたり、高校で指導したり、私などよりも地域のラグビーに貢献していましたね。 家庭環境もそうですから、高校に入ってからは明けても暮れてもラグビーばかり、それ一色です。 眞柄森会長がラグビー部の主将を務めた県立金沢二水高校は、石川県ではラグビー名門校として知られていますね。そこからいよいよ早稲田大学へ進学されたと。 森親父も所属していた早稲田ラグビー部に入りました。もう、嬉しくてね。私の人生はまさに下駄箱にあったシワくちゃのラグビーボールからはじまっているわけですよ。早稲田大学へ誘ってくれたのはあのボールですから。 ところが、憧れの早稲田ラグビー部に入って、さぁ、これからという時に身体を壊してしまった。自分のレベルがまだ低いのに結構無理をして、精神的にも辛かったですね。それでラグビー部を辞めたわけです。 眞柄子どものころからの夢ですから悔しかったでしょうね。
森あのままラグビーを続けていたら、どうなっていただろうと今でも考えます。一番仲がよかった尾崎政雄は八幡製鉄で監督までやりましたから、私もおそらくラグビーの強い会社に入って、60歳ぐらいで肩をたたかれて、今ごろは田舎に帰って畑を耕しているかもしれない。近所の子どもたちを集めて、ラグビーを教えたりしてね。 眞柄地元のラグビースクールで校長をされているかもしれません。 森たぶん、そうなっていたでしょう。ところが幸か不幸か、ラグビー部を辞めたことで、運命のボールがぽーんと思わぬ方向に弾んでいった。早稲田大学雄弁会に入ったのですから。 眞柄そこから政治の世界へ入っていくわけですね。 森政治や演説は大嫌いだったのに、先輩から誘われたのが縁で雄弁会に入ったわけです。入学する時は、政治なんて考えもしなかったのにいつの間にかそうなった。結局そこから少しずつ政治志向になっていきました。 当時の雄弁会には、浅沼稲次郎さんや河野一郎さんといった先輩たちが、年1〜2回ほどきて話を聞かせてくれました。海部俊樹さんや渡部恒三さんなど若い政治家志望の人たちは、私たち後輩を指導してくれました。そういう上下関係はよかったですね。今の青木幹雄参議院議員会長が私の1年先輩にいて、1年下に玉沢徳一郎、2年下に小渕恵三がいました。 最近はよく講演で「人生はラグビーボールのようなもの、どこにリバウンドするかわからないが、チャンスをねらっていればいつかはトライできる」と話しています。 眞柄そのうち、どこにリバウンドするかも肌感覚でわかるともおっしゃってますね。 森何事も与えられたことを一生懸命やっていれば、次の道が開かれるということです。 |
4)会長就任はラグビーへの恩返し 故・奥克彦大使の想いを実現する
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