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エグゼクティブ対談 【第5回】細川佳代子(特定非営利活動法人スペシャルオリンピックス日本 理事長、
2005年スペシャルオリンピックス冬季世界大会 会長、「500万人トーチラン」実行委員長)

スペシャルオリンピックスの感動から新しい人生が始まる(1/3)

スペシャルオリンピックスの感動から新しい人生がはじまる 細川佳代子氏

用語解説

スペシャルオリンピックスとは?

スペシャルオリンピックス(SO)とは、知的発達障害のある人たちにさまざまなスポーツトレーニングと、その成果の発表の場である競技会を提供し、彼らの自立と社会参加を応援している国際的なスポーツ組織です。SOでは、これらのスポーツ活動に参加する知的発達障害のある人を「アスリート」と呼んでいます。

1963年に故ケネディ大統領の妹ユニス・ケネディ・シュライバー夫人が、自宅の庭を開放して開いたデイ・キャンプがSOのはじまりです。知的発達障害のある人たちにもスポーツを心から楽しむチャンスが与えられるべきだとの強い信念が彼女にはありました。実は彼女の姉ローズマリーにも知的発達障害があったのです。

1968年にジョセフ・P・ケネディ財団の支援により組織化され、スペシャルオリンピックス(SO)となり、1988年に国際オリンピック委員会(IOC)とオリンピックの名称使用や相互活動を認め合う議定書を交わしています。本部はアメリカ、ワシントンD.C.にあり、世界150カ国以上が加盟、約100万人のアスリートと75万人のボランティアが活動に参加しています。現在の総裁は、創設者ユニスの子息であるティモシー・シュライバーが努めています。

SOが提供する継続的なスポーツ活動は、アスリート達の健康や体力増進、スキルの向上促進だけでなく、多くの人々との交流は彼らの社会性を育んでいきます。また、適切な指導と励ましがあれば、アスリートたちは少しずつでも確実に上達し、自立への意識を高め成長していきます。参加するボランティアたちもアスリートから多くのことを学びます。

「スペシャルオリンピックス」の名称が複数形で表されているのは、大会だけでなく年間を通じてさまざまなスポーツプログラムが継続的に行われていることを意味しています。

日本では1993年3月にスペシャルオリンピックス熊本が発足し、翌1994年11月に国内の本部組織であるスペシャルオリンピックス日本が設立されました。現在は、27の都道府県に地区組織が設立され約5,000人のアスリートと約14,000人のボランティアが参加しています。

2005年冬季世界大会について

アジアで最初となる2005年スペシャルオリンピックス冬季世界大会は、2005年2月26日から3月5日にかけて長野で開かれました。開会式には皇太子殿下、閉会式には高円宮久子様のご臨席を賜り、世界大会にふさわしく盛大に催されました。世界84カ国・地域より約2,575人(アスリート1,829人、コーチ746人)の選手団参加し、多数の観客が見守るなか各自のもてる技を精一杯に披露しました。

競技は、長野県内5カ所(白馬村、山ノ内町、野沢温泉村、牟礼村、長野市)で開催され、大会運営は約11,000人のボランティアによって支えられました。

各方面に多くの資産を残したスペシャルオリンピックス世界大会

眞柄「2005年スペシャルオリンピックス冬季世界大会」は全国的に注目を集め、私たちに大きな感動を与える素晴らしいイベントでした。細川さんは大会会長として、開催期間中はもちろん、準備段階から現在に至るまでまさに東奔西走なさられたと思います。アジア初の世界大会を無事に終えられたいま、どのような感想をおもちでしょうか。

正直いって「あの大会は本当だったのかしら」と時々疑いたくなるんですよ。まるで夢でもみていたような気がします。

細川正直いって「あの大会は本当だったのかしら」と時々疑いたくなるんですよ。まるで夢でもみていたような気がします。

 もともと私は、何ごとも一瞬一瞬でエネルギーを完全燃焼させて、あとに引きずらないほうです。アスリートたちに負けないくらいベストを尽くすタイプですから(笑)。2〜3カ月して休暇でもとれば、「あぁ終ったんだ」と初めて実感が湧いてくるかもしれません。

 ただ、ホッとしたことだけはたしかです。それはもう、本当にホッとしています。とくに大会期間中は緊張の連続で、寝ても覚めても「無事に終わらせたい」という気持ちがずっとありましたから。ようやくその緊張から解放されたという気はします。

眞柄あれだけ大きな世界大会で会長を務めるのですから、それは無理もないことだと思います。私どもの会社も公式スポンサーの1社として今大会ではいろいろお手伝いさせていただきました。ボランティアが70人、システム・サポートのスタッフが30人と100人あまりの社員が参加させていただきましたが、私もボランティアの一人としてたいへん素晴らしい経験をさせていただきました。お手伝いしたというよりも、本当に心から感動させてもらったという気がします。社員たちの経験は当社にとって大きな財産になります。

 これは当社だけではなく、関係者全員にいえることではないでしょうか。長野県商工会の方は「長野県がスペシャルオリンピックスのホストを務めたことでたいへんな資産が残った」とおっしゃっていました。もちろん、SO日本はじめスペシャルオリンピックスの各組織もそうだと思います。

 今大会が各方面に多くの資産を残したことは間違いありませんが、細川さんにあえて1つ挙げていただくとしたら何でしょうか。

細川これは大げさな言い方かもしれませんが、今大会にかかわったみなさんの人生が少し変わったのではないでしょうか。いままでとは違う、新しい人生のページが開かれる。それは私の願いでもありましたし、大会を終えて実際に成果があったと強く感じています。

 多くの方から「素晴らしい大会だった」と賛辞をいただきましたが、それが表面的なお世辞でないことはその方の表情をみればすぐにわかります。人間が本当に心を動かされたときの言葉は、口先だけの言葉とまるで違いますから。

 みなさんが芯から心動かされたという意味でも、今大会は成功だったと思います。

私自身、競技を終えたアスリート一人ひとりの笑顔がとても美しくみえました。あの感動は心に残りますね。

眞柄私も現場にいたのでそれはよくわかります。私自身、競技を終えたアスリート一人ひとりの笑顔がとても美しくみえました。あの感動は心に残りますね。その意味でも、本当に素晴らしい大会だったと思います。

 そういう素晴らしい部分を支えてこられたご苦労は並大抵のものではないと思います。細川さんはこの活動に携わって12年になられますが、これまで最もご苦労されたのはどのような点でしょうか。

細川知的発達障害のある人たちへの無関心と無理解ですね。残念ながら、やはりまだ日本では彼らはあまり理解されていません。また、知らないから無関心になってしまう。無理解からくる心の壁というのは大きいですね。

 無理解や無関心は誤解を生みやすいものです。別の言い方をすれば偏見です。「知的発達障害とはこういうものだ」と自分勝手に思い込んでしまう。それは日本の社会で長い年月をかけてつくられてきたものでもあり、この社会で生まれ育った人たちは自然とそう思い込んでしまうのですね。

 その昔は「先祖のたたり」と言われたり、家族に知的発達障害のある人がいると結婚に差し支えると言われたりしました。だから、家族は隠しつづけた。いまはそこまでひどいことは言われなくなりましたが、そうした思いの一部が人々の心に残っているわけです。生産的なことが出来ない、かわいそうで気の毒な人たちと思いこんでいる人々が多いのです。

 知的発達障害のある子をもつ親のなかには、自分の人生を嘆いている方もたくさんいらっしゃいます。悲しんで苦しんで、なぜ障害のある子が生まれたのかと、本当の意味に気づかず隠そうとしている。その親たちを本当に苦しめているのは、社会の無理解なのです。

 実は私自身も、そうした社会の一員だったんですね。自分がいま一生懸命に活動しているのも、誤解や偏見を持っていたという罪悪感や罪償感の表れかもしれません。そうした罪の意識が原点にあるのかなと考えることがあります。

「もしかすると自分たちは間違っていたのかもしれない、知的発達障害のある人たちは世間で言われているのと違うのだ」と一人ひとりの意識や価値観が変わるきっかけになれば、この世界大会は成功だと思います。

 いま思えば、これまでは「社会の無理解という問題と戦いつづけた」12年間でした。だからこそ日本での世界大会が必要でしたし、この大会を通してそういう自分たちの意識に少しでも気づいてほしいと願ってきたわけです。「もしかすると自分たちは間違っていたのかもしれない、知的発達障害のある人たちは世間で言われているのと違うのだ」と一人ひとりの意識や価値観が変わるきっかけになれば、この世界大会は成功だと思います。私が一番うれしかったのは、多くの方々の心にそのような変化が感じられたことです。

眞柄細川さんが長年にわたって活動をつづけ、世界大会の開催にまで至った原動力がよく伝わってくるお話です。私は家族にスペシャルオリンピックスでの体験を話して聞かせましたが、おそらく他の参加者たちも身近な人たちにあの感動を伝えていると思います。そのことによっても知的発達障害のある人たちへの理解は少しずつ伝播していくでしょうから、今大会が社会に与えたインパクトは測り知れないと思います。

 ところで、私がお会いするたびに感じるのは、細川さんの強いパッションです。大会レセプションのスピーチでも、皆さんに語りかける姿からものすごいパッションを感じました。先ほど「罪の意識」というお話もありましたが、細川さんの強い信念を支えているのは何だと思われますか。

細川それはよく質問されるので、自分でも何だろうと考えてきました。先ほどお話したように、私自身も知的発達障害のある人たちを差別していたという罪の意識があるからではないでしょうか。

 口ではうまいことを言っても、やはり人間というのはどこかに差別意識があるものです。この新しく目覚めた自分の思いを一人でも多くの人に伝えなくてはならないと思ったんですね。更に私は、アスリートたちから人間として大切なことをたくさん学び、自分の魂を磨いてもらっていることに感謝していますし、彼らを心から敬愛しています。一種の使命感といいますか、自分だけが「そうだったのか」と納得して終ってはいけない、という気持ちです。大切なことに気づいたのだから、外にむかって知らせなくてはいけないという使命感があり、それが行動につながったわけです。

 普通は気づいても、行動までは起こさないのかもしれません。なぜ行動するところまでいくのかと聞かれたら、それはたぶん私が小さいころから受けてきた教育のおかげでしょうね。私の親は、社会に対して前向きに行動すること、勇気をもって行動することを認め励ましてくれました。普通なら「女だからやめなさい」とか「危ないからやめなさい」というところをすべて許して、私の思うようにさせてくれたんです。人が喜ぶことが私の喜びと言う幸せを、たくさん体験して成長してきました。

 私は親の教育や学校の教育という点で、たんへん良い環境に恵まれていたと思っています。だからなおさら、社会にお返しするのがまた自分の使命だという思いがあります。そう言う思いのすべてが重なっているんでしょう。

 よく「ノーブレス・オブリージュ(Noblesse Oblige)」と言われますよね。高い地位や名誉を得た人ほど、社会的責任を果たさなければいけないという意味です。私は自分が高い地位や名誉を得たわけではなく主人なのですが、人からそうみられてもおかしくない立場にいます。また、何百年という歴史のある家に嫁いだわけですから。私自身、誰も真似できないほど変化に富んだ、充実した人生を送らせていただいていると感謝しています。

 それならやはり社会のため、人のために何かお返しするのが当たり前という思いが根底にあるから自然体で行動できるのだと思います。

 初めに「こうあらねばならない、だからやるんだ」と決めてかかるのではなく、考える前に行動しているんです。実を言えば、あとから人に理由を聞かれて、一生懸命に「たぶん、こうだろう」と自分なりの理由を探すんです。あるいは、行動しながら考える。初めに理論ありきではなくて、初めに行動ありきなんです。

眞柄それは強いリーダーシップに必要なことかもしれません。私が細川さんに感じるパッションは、確かにつくられたものではないんです。世の中には無理にパッションを出している人も多いのですが、細川さんの場合は、自然体でいながら強烈なパッションを感じさせる。変な言い方かもしれませんが、つくりものではないからカッコ良いんです。私など時々自分でも「無理につくっているな」と感じることがありますから、その差は大きいと思いますね。

  123 対談の続きへ

対談目次

1)各方面に多くの資産を残したスペシャルオリンピックス世界大会

2)スペシャルオリンピックスの意義は実際に参加して初めてわかる

3)会社の仕事ができるだけでは半人前ボランティア活動を通して文武両道に

ゲスト:細川佳代子氏
特定非営利活動法人スペシャルオリンピックス日本 理事長、2005年スペシャルオリンピックス冬季世界大会 会長、「500万人トーチラン」実行委員長

プロフィール

聞き手:眞柄泰利
マイクロソフト株式会社

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