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眞柄この「経革広場エグゼクティブ対談」では、各界のリーダーを毎回お招きし、企業経営者に有益な旬のビジネス情報を提供していくシリーズです。記念すべき第1回は、自民党国会対策委員長の中川秀直先生にお越しいただきました。 中川先生は2000年に初代IT担当大臣に就任され、政府が進める「e-Japan戦略」策定の立役者でもあります。ITに関する造詣が深いことはもとより、わが国初のIT戦略を策定されたという貴重な経験をお持ちです。本日は「e-Japan戦略」策定当時のお話や、知的財産立国として日本が進むべき方向についてお聞きしたいと思っています。 中川第1回にお招きいただき、たいへん光栄です。また、広島大学とマイクロソフトのセキュリティとアクセシビリティの分野での共同研究の発表がありました。私の地元でありますので、お礼を申し上げると共に、新たな分野で産学が連携する構図は大変重要であると認識していますし、積極的に支援もしていきたいと考えています。 眞柄広島大学との共同研究は我々も重要なプロジェクトであると認識しています。よろしくご支援お願いします。ところで中川先生は、私どもの会長であるビル・ゲイツとも親交をお持ちですね。 中川ビル・ゲイツ会長に最初にお会いしたのは、2000年の「世界経済フォーラム年次総会」(ダボス会議)です。世界中から政財界のリーダーが集まり、世界の現状と今後について話し合う場です。あのときダボスは大雪でしたが、会場が熱気でむんむんしていたのを憶えています。なかでもビル・ゲイツ会長、ソニーの出井伸之社長(当時)、AOLのスティーブ・ケース社長(当時)のセッションには一生懸命に耳を傾けました。 当時まだ日本では「インフォメーション・テクノロジー」という言葉はほとんど使われていなくて、「情報革命」や「情報技術革命」はあっても「IT」とは言っていなかったように記憶しています。 眞柄そうでしたね。 中川しかし、2000年のダボスはITの話で持ちきりでした。まさにビル・ゲイツ会長はじめ情報革命のスターたちが中心となって会議を盛り上げた、という印象でした。「これはすごいことになっている」と驚きをもって聞いていました。 日本に帰って私は官房長官になり、森総理の施政方針演説では、日本も世界最先端のIT国家を目指さないといけない、という意図が盛り込まれました。そのきっかけはあのダボス会議であり、特にビル・ゲイツ会長のお話だったと思います。 眞柄そうでしたか。 中川ビル・ゲイツ会長とはその後もシアトルや日本でたびたびお会いしていますが、私が強く感じますのは、ITに対する強い信念をお持ちだということです。人類が共生していくうえで、ITは極めて重要なツールであると位置づけておられる。 単なる技術進歩が目的なのではなく、より多くの人たちが情報共有できる優れたシステム、言語の壁を越え、同じ人類として共に生きていけるシステムを実現しようという強い信念が感じられますね。ITに対する情熱と実行力、そして柔軟性を備えておられるとお会いするたびに思います。 眞柄中川先生は2000年のダボス会議からおよそ半年後に、国務大臣内閣官房長官となり、初代IT担当大臣となられました。そして、翌2001年1月には「e-Japan戦略」を掲げられたわけです。 中川先生が当時いろいろなところで「ITは第二次産業革命である」と訴えておられたのを記憶していますが、ITによる情報革命の重要性についてはいつごろからお考えだったのでしょうか。
中川私が情報革命の重要性について考えはじめたのは、もう30年以上も前のことになります。83年に『地球時代のニッポン』という本を書いたのですが、そのときテーマの1つに取り上げたのが「情報社会」でした。83年の時点で「情報化社会」の段階はもはや過ぎ去り、すでに「情報社会」に入っていると書きました。情報技術の発達が、これからの世界を変え、社会を変えていくと私なりに予測したわけです。 この本の副題は「2001年人間愛国家論」というもので、当時はまだ東西冷戦の時代でしたが、21世紀は人間愛に基づく国家でありたいという思いを込めたんです。政治の根底にはヒューマニズムがなくてはいけない、日本はそういう考えを世界に広げていく国家でありたいということです。 その本を書いてから30年近くが経過し、現実に2001年を迎えたときに、私は内閣官房長官(IT担当)となっていました。そして、ITと通信ネットワークに関する基本法(高度情報通信ネットワーク社会形成基本法)の法案づくりに携わることができたわけです。そのときに、ITの発達は18世紀の産業革命に匹敵する大きなうねりであり、経済や社会に大変革をもたらす潮流であると申しあげました。 それまで日本の基本法は、横文字はほとんど使わない、まして数値目標など掲げないのが当たり前でしたが、IT基本法では「5年以内に世界最先端のIT国家を目指す」という目標の下に明確な数値目標を掲げました。「IPv6を備えたインターネット網への移行」など技術用語が含まれている基本法は、それ以前の官僚がつくる基本法ではまずありえなかったですね。その意味でも画期的でした。 超高速インターネット網を使った電子政府も、目標の1つとして打ち出されました。当時は政府の電子化はほとんど進んでいない状況でしたが、いまや電子政府は実現し、電子自治体も完成間近になっています。ハード面の目標は、5年どころか3年でほぼ達成したといえます。 「e-Japan戦略」は、日本が国家戦略として高度情報化を掲げた点でも画期的であったし、わが国の情報化における最初の産業革命だと位置づけてよいのではないでしょうか。 眞柄私ども国民や民間企業のほうも、政府が掲げられた「e-Japan戦略」に則ってインフラ整備が急速に進んだと実感しています。日本の情報インフラ整備にみられたスピードと実行力には、ビル・ゲイツも驚いていました。同時にさまざまな規制が緩和された結果、コスト負担についても世界で最も進んでいるといまは誰もが認識しているところでしょう。 中川「e-Japan戦略」がスタートしたころ、日本はブロードバンドの接続料金が欧米社会に較べて5倍から10倍近くとかなり高額で、ADSLの利用者は全国で1000世帯にも満たない状況でした。 一方、お隣の韓国はすさまじい勢いでADSLの利用者が増え、数百万世帯という規模で普及していたんです。韓国はじめ他の国々に負けてはいられないという危機感もありましたから、日本では極めてスピーディにADSLが普及し、それにつづく光ファイバーも広がっていったんです。 政府の取り組みとしては、電気通信法を改正し、インターネットでもNTTの回線を開放させたのは大きかったですね。ずいぶんバトルもありましたが、半ば押し付けるような形でやりました。その結果、日本はわずかの期間で、ブロードバンドの接続料金を世界一安い水準にまで下げることができた。これはやはり国家戦略ゆえの迅速さ、政治が指導力を発揮した賜物であったと思います。 |
1)わが国初のIT戦略「e-Japan戦略」はこうして生まれた
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