
「やる気さえあればできないことはない」、「成功したのは成功するまで止めないからだ」、「思うことは必ず実現する」・・・。著名人の啓蒙書にはこのような力強いフレーズが並んでいます。読んだ直後は血が騒ぎますが、翌日は何も変わっていません。忘れかけたところでまた読むことで自分に力と勇気を与えてくれます。
私個人としてはこのような小道具を使って自分の心の太鼓を叩くこと自体はよいことだと思います。私も落ち込んだときに立ち読みした本に書かれた一言に救われたことがよくあります。ある人は夕日を見ることで勇気を得、ある人は家族との団欒で気力を取り戻し、ある人は恋人とスイートな時間を過ごすことでやる気を蘇らせます。
しかし、上司や先輩がやる気のない部下に向かって「やる気を出せ」ということは極めて不自然なことです。そもそもやる気があるかどうかは個人の自由であり、ないものは出せといわれても困ります。それでも立場を利用して強要するならば部下は「やること」ではなく、「やる気を見せる」ことに注力します。
業績はなぜ良くなるか。「やる気があれば業績が良くなる」と答えたり考えたりする人がいると思います。これは明らかに自己中心的で顧客を無視する行為です。業績が良くなるの直接の理由は顧客が買ってくれるからです。ではなぜ買ってくれるかというとその答えはやっぱり「やる気があるから」ではありません。その直接の理由は顧客がその商品をほしいからです。顧客がほしくないもの、顧客価値に繋がらない業務にやる気があると、逆にコストの上昇を招くだけの迷惑行為です。
結果を出すためのやる気。もっとも効率に沿うやる気。これらのやる気ならいいのですが、目の前にいる部下のやる気はどの種類のやる気かについては誰も簡単に断言できません。嘘の見せ掛けのやる気か、結果を出すための本物のやる気かについていちいち判定することは高負荷で、不公平を招きます。
だからこそやる気の管理に首を突っ込んではいけません。やる気をチェックしたい気持ちは痛いほどわかりますが、それは短絡な気休めに過ぎません。
やる気のない社員を見かけたら我慢することです。明らかにやる気がないと分かってもぐっと我慢することです。
仕事や上司と合わないからかもしれません。評価基準が悪い方向で平等だからかもしれません。目標が低いからかもしれません。与えている仕事が足りないからかもしれません。関連部署や上司の協力を得られないからかもしれません。会社に希望を持てないからかもしれません・・・。いずれせよ、やる気は結果であり、その前に理由があるはずです。その理由とは動機です。
「動機付け」という言葉がありますが、動機は付けられるものではありません。外部の影響ではなく、内部にある能動的な欲求が動機と言います。部下に動機を付けるという言い方は傲慢であり、ロジックが正しくない言い方です。だいたいそんな無駄な努力を試みるマネージャーや経営者に限って自分にも十分な動機付けを行うことができていないと思います。
人間は生きている以上、何らかの動機があります。つまり欲です。ある人は地位と名誉であり、ある人は金銭であり、ある人は異性へのアピールであり、ある人はこの中の複数の欲を同時に持ったりします。その自らの欲は動機です。
その欲を叶えてあげる手段と踏み台として企業があります。企業の欲(目的)は事業であったり、社会貢献であったり、顧客・社員・株主への還元であったりしますが、それは一人ひとりの社員の欲といつも合致することはありえません。

大阪から新幹線に乗って東京に行きたい人と名古屋に行きたい人はしばらく同じ車両でよいのです。これと同様に、企業と個人の関係は常に同じの目的の必要はありません。それぞれの社員に欲があってその欲を企業の欲と同じ方向に向けるところがあるはずです。それを見付けて連動させることで社員のモチベーションが自然に高まります。
やる気はほしいところですが、口に出したところで何も変わりません。口にしながら評価の方法や仕事の相性や職場の環境などの具体論に手をつけない経営は楽な道を選んだやる気のない経営だと思います。